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武漢肺炎ウイルスを経験して改めて考えたお金より大事なもの!

こんばんは、武漢を脱出した上海人のNoraみんです。

脱出経緯はこちらをチェックしてね→:実体験!新型コロナウイルスの発生地中国武漢からの脱出劇

もし、今回の新型コロナウイルスの正体(出どころ)が解明できなければ、私は断固この新型コロナウイルスを「武漢肺炎ウイルス」と呼びます!

はい、ウイルス被害にあった(感染されたわけではないが、感染されて死んでいた可能性だってあった)私はとにかくむかついた!しかし、この新型コロナウイルスのおかげで、お金に対して改めて考える機会ができたのです。

私は小さい時から、仏教徒の母親に優しいこころの持ち主になれと教育されたが、常に反抗していたため、言うことをほとんど聞かなかった。母は、人は1日多くても3食、横になってもせいぜい2平米、雇ってくれる人に常に感謝の気持ちで働き、人に迷惑をかけてはいけないと考えていたので、そのため、母は高校卒業してからずっと同じ会社(安定な石油系の国有企業)で定年まで働いて、余裕のあるお金をいつも自分よりまずい人に寄付をしていた。そのため、母は貯金もなければ、贅沢したこともなかった。こんな母と反対的、私はとにかくお金が大好きで、なるべく寄付されないようにお金(お小遣いなど)を隠したり、就職してからも点々としてより給料の高い企業に移していた、当時の中国は、転職するほど給料が上がるし、すべての企業に置いて人手不足な状況だった(2004年ー2008年の頃)。

専門学校(勉強より早く社会人になりたいから大学に入らなかった)の時に、私は株に興味を持って、昼休みはいつも学校近くの証券会社に籠もって、株に夢中のおじさんおばさんの会話を聞いたり、売買のための機械をいじたり、機械の画面に表示されてる数字とグラフを眺めたりするのが楽しみだった。お金がないし株を買える年齢でもないから、当時は仮想売買をして楽しんでいた。

やっと就職して、給料を受けるようになって、やっと自由に支配できると思った!ところだったが、

初任給はなんと、1000元だった(約15000円)…

お金を自由に支配するところかおいしいものを食べようと思っても無理だった、それはそう、私は食品化学の専門学校卒業生、大学生と比べるとだいぶ劣ろってるし人材とは言わないから、会社に入っても下っ端で最低賃金で働くしかない。社会人になっても母と一緒に住んで、最低賃金で働き続けて2年間、もちろん、自由に支配するお金がないから株なんかに手を出せないし、増やせる資本金が全くない。

それでも、私の母は満足だった、娘は安定した大企業に入ったし、自分のそばにいるから安心、それから会社の中の誰かと結婚してくれればそれで完璧!おそらく母親はそう思っていた。中国人の親は、子供のことを大事に思って、常に子供の人生を干渉して行くのが普通でした。しかし、私は常に反抗していたい性格で、どうしても親から離れたかった。それが私が初めて思う「自由」とのものだった!

当時から、自由になるにはお金がいると考えていた。当時、私は中国で有名な食品製造会社で品質管理の仕事をしていた、給料は低いが、仕事自体は楽だし、会社の福祉もよかったため、安定して一生働いていける雰囲気だった。母もこんな専門学生の娘でも大企業に入れたからとても誇りに思うほど嬉しかった、けど、私は悲しかった、私の一生はこのまま決められじゃうの?と思い、母に相談なしで仕事を辞めてしまった、そして、それを知った母は泣いた。

お金が増えるところか、むしろ0元になってしまった私は、毎日母の厳しい目線の下で日々を過ごしていた、私は「自由」とのものにますます憧れてしまいます。とにかく家に居たくない、お金を稼がなきゃと思って、以前の仕事より給料が高ければ辛くても働くと決めました。そして、食品会社を辞めてからの3年間、いろいろ転職していた(フィルターの生産企業→地質研究所→精密機器の日系企業)。お母さんから離れることは出来なかったが、どんどん給料が上がって(初任給の4倍ほど)いたことを母に証明できた!

※当時、食品会社に働き続けた元同僚に尋ねたら、給料は年末に評価された社員のみ200元(約3000円)を上げるとのシステムで、大してあげてくれなかったらしい、でも、勤務年数が長ければ上げてくれるだろうとの夢を持ってこれからも頑張り続けるとのこと。

最初の会社を辞めた判断は正しかったと証明ができたので、母は私の意見を尊重するようになった、それは、のちに中国を離れる決断に成功したことにも繋がっていた。

私はこの時に気づいてました、お金があれば自由になれること、その時に思う自由とは、行きたいところへ行けることと、やりたいことは自分で決められること。だから私は最後に勤めていた上海にある日系企業を辞めて、マレーシアに留学を決めたり、好きな人と結婚を決めたり(現在の旦那)、誰かに言われて決めるのではなく、すべて自分の判断で進めていた。

しかし!今回の武漢肺炎ウイルスで、私の価値観をすべて崩し返された!お金がいくらあっても「自由」が手に入らない状況が発生したのです!それらを体験しているのは私の母!実は、武漢肺炎ウイルスの発生前から、母は武漢の私の家に遊びに来ていた、そして、そのまま足止めされて、現在でも武漢の家に閉じ込められてる!

1月23日、武漢閉鎖する2時間前に脱出を決めた私と反対的に、母は脱出が失敗することを恐れて、家に残ることにしたのだ。それは仕方がない、母は中国のパスポートを持っていて、勝手に海外移動ができないのです。

※中国の一般国民は、海外渡航するのに、相手国に事前にビザ申請をして許可をもらう必要があるため、勝手に、自由に他国へ出入りできない。

私が武漢を脱出を決めた日に、家に食品などいっぱいあったため、母は上海に戻るより、武漢にいたままの方が生活上に便利だと考えて残ったのです。当時、母は最悪の状況を考えてなくて、私より楽観的だった。

母から伝わって来た現在の状況によると、最初の武漢市封鎖から、どんどんエリアが縮小して、現在は住宅地閉鎖、マンションから降りることはできるが、住宅地エリアから出ることができない。(地区によっては規定が違うらしい)

現在の悩みは家を出れないことによって、買い物が自由にできないから、限定されたところで買うしかなくて、とにかく物価が高く、野菜・果物やお肉は通常の10倍ほど値上がりしているとのこと、しかも品質が悪く美味しくないものや腐ったものが来ても文句を言えない状況。

そう、現在はお金があっても自由な生活ができないってこと。もちろん、お金がないともっと悲惨な目に遭うだろう、他人の情報が入ってこないことによって、他で何が起きっているのかは不明です。(中国では武漢肺炎ウイルス発生後にネット規制がさらに厳しくなった。)

正直、今の母はまるで牢屋に入った状況。一生他人思いの優しい母は、今は誰も助けてくれない、助けられない状況。お金があるかどうか以前の問題、「誰か」に自由を奪われた。

幸い、母はとても元気で、風邪も引いてないし体調も絶好調。家を出れない母のストレスをなるべく解消してあげるように、私は毎日母に電話をかけて雑談している。昨日、母からこんな話をしてくれました、

「ママは若い時、周りの知り合いがどんどん海外へ出稼ぎして出ていた、ママはリスクが怖くて、当時は安定ないい仕事に就いてると考えて、外国へ行くなんて考えたことがないもんね〜」

「うん!うん!」母は後悔し始めたかと思って、同意する私。

「でも、ママは海外に行かなかったから、あなたが生まれてくれたんだもんね〜だから、よかったよ!」

「…」鼻の奥からツーンとした痛みを感じて、目から何かが出て来そうで、我慢した私。

そうね、母にとっては、お金と自由よりも他に大事なものがあるようです、それは、私が一生かけても理解できないもののかもしれません。

 

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noramin

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