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実体験!新型コロナウイルスの発生地中国武漢からの脱出劇

こんにちは、武漢を脱出した、上海人Noraみんです(笑)。

私は1月23日朝8時、武漢市閉鎖の2時間前に脱出を決めました!この壮絶な脱出劇を今回の記事にします!最後の更新から今日までのこの1ヶ月間は、地獄と天国共に味わった、1年間ほど長く感じた1ヶ月間でした。

現代社会に置いては起きてはならないことがこの中国で実際に起きている、死神がそれほど近かった恐怖感も未だに覚えています。※この記事はすべて自分の実体験です。

脱出の日の24日前…

2019年12月31日、Twitterの華人圏では、SARSに似たウイルスが武漢で広がってるとのツイートがありました。SARSについては、恐ろしいウイルスとして記憶に未だに残っているため、私は旦那や武漢在住の知り合い日本人に情報をシェアしました。その時、旦那に信じてもらえなくて、「ふーん」の一言で終わった。

2020年1月1日、Twitterでは感染者増える勢いがあるとして話題になり始めている。デマを拡散したとして、原因不明な肺炎ウイルスの情報を拡散した8人を当局が逮捕した。

2020年1月4日、中国政府が、人から人へと感染しないとの正式文書が出た。その時点で、ウイルスの正体はまだ分からないとのことだった。

2020年1月5日、日本の報道番組で初めて新型ウイルスとしてニュースで取り上げた、日本にいる家族から連絡がありました。

2020年1月6日、主婦友によると、武漢の日本人学校で配布している通知によると、ウイルスについて現在調査中とのことで、人から人へと感染しないため心配ないとのこと。その時点で公表した感染人数は44名だった。

2020年1月7日、中国の公式発表では感染人数は44人のままだが、香港では擬似感染者が増え続けていた。私は実際の報道がおかしく感じ始めて、その日のブログ記事に不安を書きました。

2020年1月9日、中国の公式発表では感染人数が58人。

2020年1月11日、中国の公式では41人の感染者と1人の死者を発表した(感染人数が減った)。

2020年1月13日、始めて海外で感染者が出た:日本、タイ。

2020年1月17日、

・中国の公式発表45人の感染者と2人の死亡者。

・中国政府が人から人へと感染しないとのこと。

・中国政府がウイルスの正体についてはまだわからないとのこと。

2020年1月18日、

・久しぶりに街の様子を見に家を出た(ウイルスの情報を知ってから、なるべく家を出ないようにしていた)。

・武漢市民は普段通りの生活をしていた。その日、武漢市民のマスク着用率は20人に1人、5%。

2020年1月19日、

・私は前から予約していたゴルフコースに出た。別グループにいた中国人の会話を聞いた「海外でも感染者が出ているのに、なんで感染源の武漢では感染人数が増えないの?」と疑問を持っている会話だった。

2020年1月20日、

・武漢市の市長が武漢市の出入りを自粛するとの呼びかけがありました。

・韓国に感染者が出たとの報道。

・イギリスの報道によると、少なくとも武漢では1700人の感染者がいるとの報道。

2020年1月21日、

・中国の公式で308人感染、6人死亡の報道があった。(感染者人数が一気に増えた印象)

・私は再び街の様子を見に家を出た。その日、ほとんどの人がマスクを着用する様になった、着用率は90%。

・薬局ではマスクを買う住民で長い列を作っていました。

・旦那と相談して、22日の夜便で武漢を出ようとしたが、航空便のチケットが取れなかった。

※中国の春節でオーストラリア旅行を計画していた、予定では1月24日ー2月1日まで武漢からシンガポール経由でオーストラリアのパースへの往復便だった。状況がまずく感じたので、武漢を早めに出たかったがチケットの変更ができなかった。

2020年1月23日、脱出の日!

朝8時「みん!早く起きろ!武漢が封鎖するって!」、旦那に起こされて、自分の携帯を見ると友達から「武漢封鎖」とのメッセージが入ってる。信憑性を確かめるためにネットを開いて見ると、「23日の午前10時に封鎖を完了させる予定」との中国政府からの情報があった、これはまずい!と思いました。

2011年中国の温州市で起きた新幹線脱線事故や2019年広州市で起きた道路陥没事故、いずれの解決方法も「生き埋め」でした。今回のウイルス感染がコントロールできなくなったとしたら、「封鎖」と言う手を使って武漢ごとを生き埋めするのではないかと私が思いました。

しかし、私たちのフライトまではあと1日もあるのに、武漢市封鎖まで残りわずか2時間!その時、旦那はすでに諦めていた「しようがないね、旅行はなしだね、残念。」、しかし、私は武漢に残れば生き埋めされると確信して、どうしても武漢市を出なければと思っていた。その日まで、ウイルスに感染されないために常にマスクを着用してるし、毎日体温を測っているから、体調に問題がないと自信がありました。「とにかく、タクシーで武漢市を出よう!」と、私が荷造りし始めた。

当時、私の行動について、日本人旦那には理解できなかった。「もう封鎖と言われたなら静かにしてればいいんじゃないの?」「武漢市を出てどこへ行くの?」「武漢市を出て足止めされたら帰れなくなるのでは?」といろいろ心配があったので、私の荷造りに協力的ではなかった。

寝起きながら、驚異的なスピードで20分をかけて荷造りをして家を出ました。その時は、武漢市の町はすでにガラガラになっていった(ウイルスの情報で外出を控えたのか、すでにほとんどの人が武漢を出たのか)。いつも使う配車アプリでは車がいなかったので、手を挙げてタクシーを止めようとしたが、すぐに他の人に取られてしまう。20分をかけてやっとタクシーに乗れた時、どこへ行くかはプランがないため、とにかく空港へ行こうと運転手にお願いした、しかし「今から空港へ行ってもチケット買えないよ」と運転手に言われた。ならとにかく武漢市を出たいと運転手に伝えたら、タクシー同士でやりとりするトランシーバーで仲間に情報を聴いてくれた。「お客さん、もう空港は閉鎖された、今空港に着いた他のお客さんは足止めされてるらしい。でも、隣の市へ出る道はまだ一か所だけある、そこから出れたとの情報があったけど、どうする?」とタクシー運転手がいろいろ情報を聞いてくれたらしい(脱出できたのはこの運転手のおかげだと言っても過言ではない)。「そこへ行こう!隣の市の新幹線駅へお願い!」と私が躊躇無く決めたので、乗車料金が950元(1万5千円ほど)を請求された。しかし、そんな時金額の交渉はどうでもよくて、とにかく行ってくれるタクシー運転手がいるだけでもありがたいと思いました。

その時はほぼ朝9時、高速で車たくさん走っていた、武漢市を出る前に渋滞にはまってしまうじゃないかとか、武漢市を出る改札口で止められるじゃないかと思うととても不安だった、無口になった旦那と一緒に静かに車内でじっとしていた。

40分ほど経って、「お客さん、今武漢市を出たよ」と運転手が声をかけてくれた、あれ、渋滞もなく改札口にも特に異変がなかったけど、封鎖と言うのは大げさ?「まだ高速を走ってるから、降りる時どうなるかはわかりませんね」とタクシー運転手がそう言いました。なるほど、ずっと高速道路を走ってるから、出るまで改札口がないんだ、と言うことは、私たちはもうすでに封鎖から逃れたってこと?そう考えるとほっとしました。その時は9時40分。

気分が少し楽になった私と旦那がこれからのプランを立て始めた。24日のフライト(武漢→シンガポール)は必ずキャンセルされると思うが、その後の便(シンガポール→オーストラリアパース)には乗りたい!そう思って、まず新幹線で広州まで行って広州からシンガポールへのフライトならありそうだから、そう決めて、ネットで広州までの新幹線チケットを取りました。その時は10時すぎていました。

周り走ってる車はみんな武漢市のナンバープレート、「あー、みんなも逃げ出したんだな」と思いながら、自分たちの車が叙々に渋滞にはまってしまった。「お客さん、もうすぐ孝感市(隣の町)の孝感北駅(新幹線駅)に着くよ」と運転手が言いました。やっと着いた!その時は11時すぎていました。

高速道路を降りる改札口の辺りで車がどんどん路肩に寄せさせられていた、よく見たら、みんな武漢市のナンバープレートだった。私たちの車も同様に路肩に寄せさせられて、車の中から車の間を縫うように歩く防護服を着ている人たちの姿が見える。運転手が窓を開けて「なにしてるの?」と警備員に尋ねると、「全員降りなさい、体温を測るよ」と言われました。

路肩に寄せるようにと指示する防護服を着ている人たち。
警備員と防護服を着ている人たち。

車を降りて、防護服を着てる人に赤外線体温計でおでこに当ててもらって、「大丈夫!」と言ってもらったら、そこから離れることができる。しかし、発熱者がいる場合は車の全員が高速道路を降りることができないらしい、その場合は武漢市に戻るか他の街へ行くしか…私たちがもし熱があるとしたら、旦那が心配していた家に戻れないと最悪の結末になることも!そう思うと背中がゾッとしました。

寒い冬の中で少し待っていると熱測りの順番が来た、おでこに当てるとピッと音がして、「熱がないね、大丈夫。」と防護服が着ている人からオッケーをもらいました。よし!第一関門を突破!(実質上武漢市脱出成功)

タクシーでさらに10分ほど走ると「お客さん、目の前は孝感北駅だよ。」着いた!孝感市には2つの新幹線駅がある、孝感東駅と孝感北駅、広州へ直行列車があるのは孝感北駅だった、どちらも武漢を経由して広州へ向かうのだが、東駅で乗る列車は、武漢市で一旦終電になるので下車しなければなりません、そうすると乗り換えの列車があるかどうかがわからない状況だったのでリスクがありました、タクシーの中でチケットを検索してるうちにそのことに気ついたおかげで1つの失敗から逃れることができたと思った。

孝感北駅についた時は12時前だった、しかし私たちの乗る広州直行の列車は午後3時ごろの出発、真冬に暖房なしの小さな駅で3時間以上待つのはとても寒くて苦痛でしたが、思ったほど人が多くないのが良かった、その時の私はすべての人をウイルスに見えるからだ、そのため、列車の席もあえて人が少ないだろうと思うビジネスにしました。

やっと午後3時になって、広州行きの列車も予定通り発車するとのことでほっとしました。16両編成の16両目にビジネス両があるのでそこへ並べることに、ホームでは混雑ほどではないが、1ー6両の前ではたくさんの人が並んで列車を待っていた。

16両目の一部はビジネス席、全部で8席ぐらいしかないが、その日は満席。個室になっていて、8人が密閉室に閉じ込められるとのことになる、この時期に一番恐れることは赤の他人と一緒に密閉されること、なので、旦那と一緒にビジネス席に座るのを諦めて、16両列車の2等席に座ることにしました。なぜなら、2等席は誰一人もいなかったから。

孝感北駅から広州直行の列車でも、一旦武漢市の漢口駅に止まることになっている、通常なら漢口駅で武漢からの乗客で満車になるぐらいだと思うが、この日、漢口駅で乗車する人、誰一人もいなかった。そのため、7両から16両まで乗客0だったので(私たちを除いて)、2等席が貸し切り状態でとても快適でした。

誰も乗っていない新幹線
通常なら混雑の武漢漢口駅だが、23日封鎖の日は関係者以外誰1人もいなかった。

 

夜8時、広州に着きました。10年ぶりに広州へ来たけど、この時の心境は複雑だった、同じ中国なのになぜか海外にいるような不思議な感じ。武漢がいかにも閉鎖的で平凡だったのか、広州に着いた瞬間に少しわかる。

新幹線駅からタクシーで1時間以上かかって広州の白雲国際空港に到着しました、時刻は夜10時すぎ。私たちがどうしてもシンガポールで乗りたい便がある、それは24日午後14時20分からパースへの便です。その便を乗るために、どうしても24日午前中にシンガポールに着かなければなりません。しかし、24日に広州からシンガポールまで午前中に到着の便は1便しかなく、それは、私が武漢を出る時に乗っていたタクシーの中でネットで予約した24日03:50分→08:00分に到着の便です、この便に乗ることができなければ、武漢脱出は成功としても予定の旅は泡になってしまいます。しかし、ここで事件が発生します。

早めに着いたため、搭乗手続きが開始する3時間前から待っていた、そして列の一番先に並んでいた。ここで手続きが順調に行けば、中国脱出成功!さらに旅行が計画通りに行ける!そう思うとチェックインカウンターも一関門になってきて緊張感が走る。

私たちのパスポートをカウンターの職員に渡してしばらく待っていると、

「あなたたちは武漢から来たの?」職員が少し強張った表情で聞いてきた、

「そうです。」中国語なので、私が答えてしまった、嘘つかずに、

「武漢は今封鎖になったんだよね」と職員がパソコンをパチパチ打ちながら聞いてきた、

「いや、そうなんだけど、私たちは早めに武漢を出たから」と嘘はつけない私だが、少しでもいいからごまかそうとしていた、

「少々お待ちを」職員は電話をかけ始めた、

実は、私たちが購入した武漢からシンガポール経由パースまでのチケットと同じく、計画変更した今日に購入した広州からシンガポールのチケットが同じ航空会社です。それに、私たちのパスポートは日本ですが、中国滞在のビザは武漢市が発行したものです。そのせいか、職員がすぐに私たちが武漢市と関わりがあることに気づいた。

しばらく待っていると、上司らしき男性が来て、事情を説明してくれた、

「実は今、シンガポール側が武漢市からの観光客を厳しくチェックしていて、健康に問題がないとの証明がなければ武漢からの旅客を受け入れないとのことで通知が来います」と上司の男性が困った表情で続いて話す「今は一つの方法があるが、少し時間がかかるけど…」

「なんでもいいから、お願いします!」と私は最後のチャンスだと思って、一所懸命だった、

「空港の検疫にお願いしてみるとのやり方、それから検疫に問題がないとの証明が出れば多分大丈夫。しかし…連絡してから検疫官が来るまで、そして検疫書が出るまで時間がかかるかもしれない、この便に乗れるかどうか…」と上司の男性が不安の言葉を残して、私たちに近場で待機するようと指示してから、その場から離れてしまった。

私たちますます不安になってしまった、どれぐらい待てばいいかも分からずに、カウンターから遠く離れることができなくて、近くでボーと立てていた。武漢から来たの?と聞かれた時にいいえと嘘つけば良かったなと考えてしまった、この日にいろいろ苦労したことが蘇って悔しくてしかたがなかった…

10分後、上司の男性が私たちに向かって歩いて来た、手に私たちのパスポートを持っている。早くない?もう私たちを断わるの?とネガティヴに考えてしまった私だったが…

「○さん、シンガポールから許可が降りたよ、搭乗券も発行しました。いい旅を!」と上司の男性が眩しいぐらいの笑顔で私たちの預かっていたパスポートと搭乗券を渡してくれました。第二関門の突破!

これで中国脱出成功だと言えるでしょうし、旅行も計画通りに楽しむことができる!広州を離陸した瞬間、感極めて泣きそうになった。その時は1月24日午前3時50分、武漢を脱出してから16時間。

 

その後、私たちは予定通り24日の朝にシンガポールへ入国し、24日の午後便でパースへ飛びました。自由になった!と思いましたが、ウイルスの情報が気になって常にタブレットから目が離せなかった。

武漢市にいた頃からパースに着いてからもずっと体調がよくて、熱や咳などの症状も一切なかった。当時は、感染されたら発熱はもちろん、必ずなんらかの症状が出ると考えていた、症状がないから出回っても問題がないと思って旅行へと決めていたが。1月26日、ネットで日本のニュースで、症状がない感染者が出たとの報道があった、この報道を見た瞬間、自分たちも感染されてる可能性があると考えるようになって、出かけることも躊躇するようになった。この日を境目に、気分が一気に落ち込むようになった。

幸い、パースではホテルじゃなく、民泊の一軒家貸し切りに泊まっていたので、他人に伝染するリスクはほとんどなかった。外食もなるべくしないし(ほぼ自炊)、移動も自分で運転するレンタカーだった。しかし、どんなに綺麗な景色でも、どれだけ行きたいところへ行けたとしても、もし、自分たちが感染していたらと思うと、気分が一気に駄々下がりでいました。

※後日にパース旅行日記をアップしますので、ご覧くださいませ。

 

シンガポールに入国拒否され、日本へ帰国!

パースでの滞在は1月31日までを予定していた。購入した往復チケットでは、武漢⇄シンガポール⇄パースだったので、帰りはパース→シンガポールまでは予定通りに乗ろうと思っていた。その後のシンガポール→武漢はどうせキャンセルされるだろうけど、とにかくシンガポールへ行って様子を見ることに。

パースの空港はとても小さくて、簡易的だった。そのため、ラウンジもなく、シャワーを浴びることができない。予定だと、31日夜の8時半頃に出発して、午前の1時半ごろにシンガポールに着く予定だったので、我慢することに。午後5時、カウンターで搭乗券の発行をしてもらった時に、また事件発生。

中国脱出が成功したし、旅行も予定通りできたので、今後の予定は武漢に戻れないなら日本へ戻るだけのこと、その前にシンガポールで一泊二泊出来たらいいなぁなんて考えているところだった。

「あなたたち、14日間以内武漢に滞在したことありますか?」とカウンターのお姉さんに英語で聞かれた。

「はい、そうです」私は嘘つくことができないから。

「1番カウンターで手続きをお願いします。」とカウンターのお姉さんに言われた。

「体温を測るか何かですか?」と私は広州での経験を思い出して、検疫を受けるとかの手続きかと思いました。

「いいえ、14日の間に武漢に滞在したことがある方はシンガポールへの入国はできません、だから、1番カウンターで説明を受けてください」とお姉さんは少しイライラした様子、笑顔も完全に消えました。

頭が真っ白になった私だった。一度シンガポールへ入国できたから、大丈夫だとばかり思っていたら、どうもこの9日間の間で制限が大きく変わったようです。シンガポールで何日間しようかな、どこに泊まろうかななんていろいろ計画を立ててみたり楽しみにしていたのに、かなりショックでした。

「まあ、早く日本へ戻るのも悪くないかも!シンガポールでウイルスに感染されたら大変だしな!私たちが無症状感染者だったりして、迷惑かけない方がいいかもしれないよ!」と、明らかに落ち込む旦那を慰めるように頑張ってポジティブに考える私だった。

格安航空(scoot)のため、たとえ搭乗拒否された立場でも、自らscoot社に電話で事情説明し手続きしないとチケット代が戻らないとの決まりがあるらしい。英語だからうまく説明できないとカウンターの係員に説明し、電話してもらおうとしてもダメだった、自らしなさいと何度も拒否された。仕方なく、日本のscoot社に国際電話かけて、事情説明をして、やっとキャンセルできました(国際電話料金はかなりかかったけどね)。

※2020年4月28日追記:scoot航空からの返金の一部(約束した金額の半分)は2ヶ月以上かかって返金されたが、残りの半分は現時点ではまだ返金されていないし、いくらお問い合わせセンターへ電話しても繋がらない状況です。

 

一刻も早く日本へ戻るため、今日中に飛ぶ成田までの便を手配しました。一番安いジェットスターのゴールドコースト経由便だった。成田まで乗り継ぎの時間も含めて18時間だったにもかかわらず、31日からシャワーもしていなかった私たち、身体共に疲れ果ていた。その上に、日本に到着してからもさらに大変だった。

 

日本へ到着

成田で飛行機を降りた頃は、すでに2月1日18時30分頃、武漢脱出の日から10日目。同乗者の群れに入って入国手続きへ向かっていく途中、「14日以内に中国湖北省に滞在歴のある方、申告お願い」との看板を持った職員の姿が見えました。そこで滞在歴を申告しようと思い、列から出て看板を持つ職員の方へ向かって行くと、同乗者たちの目線が一斉に私たちに集まった、驚きの顔や疑問の顔でこっちを見ていた、同乗客に不安をもたらしただろうなと思いました。

滞在歴を申告すると、検疫職員の案内で書類を書いたり、熱を測ったり、それ以外の時間はずっと検疫のオフィスで待機していた。新型コロナウイルスの感染状況は日々変わっていて、政府の指示で検疫の対応も常に変わっているらしい。その日は、新法律(感染症法)が実行する初めての日だったようで、私たちをどうするかは職員たちがパニックでした。どうもこのようなことで検疫所と厚生労働省が意見が合わないらしい:

・空港の検疫でウイルス検査をして、問題がなければ家に帰れる

・病院でウイルス検査をして、この日は入院して14日になるまで隔離する

・入国拒否する、そのまま次の便で中国に返す(日本国籍の場合でも…)

4時間ほど待ったところでやっと決着が着いて、病院へ入院することになったのです。幸い入国拒否されずに済んだからよかったのですが、まだシャワーも入れず24時間ほとんど寝てない私たち、そのまま検疫の車で病院へ搬送されました。この時は2月1日午後23時。

搬送されたのは成田赤十字病院の第1級感染症病棟だった、迎えにくる先生や看護師みんな完全防護姿で現れて、なにも症状のない私たちにとってはとても違和感がありました。感染症病棟だから、当然全てが個室になっていて、旦那と同じ階にいるが別々の部屋に入れられました。部屋に入ったあと、検体を取る検査(綿棒で鼻や喉に入れて粘液を取る)を受けたり、書類など書いたり、私はこの時、疲れがピークに到達していた。幸い、部屋にはシャワー付きのユニットバスがあったので、検査など終わったらさっさとシャワーを浴びて、秒速で寝てしまいました。この時はすでに2日2日午前2時。

新型コロナウイルス検査は時間がかかるため、次の日の17時まで病室で待機しなければなりません、部屋から一歩も出れないし、病棟にwifiがないから携帯を持っていない私たちはインターネットも使えることができなかった、午後になってやっと隣の病棟から借りてきたwifiが使えるようになったが、それまでボーとして寝てまたボーとしての繰り返しだった、インターネットがないと廃人になるんだなってこの日に実感しました。

2月2日午後17時、部屋に入った先生の姿は昨日と違って、防護服を着ていない!マスクの下から笑顔が見えた、その瞬間、陰性だと分かった。

「もう病院から出れますよ、よかったね!」と若い先生が喜んでくれました。

病院を出る時、先生にこう言いました、「近いうちにまた武漢に戻るから、もうしかしたらまたお世話になるかもしれませんね。」と、そして先生が答えに困っていました。この時は2月2日午後20時ごろ、やっと自由になれた。

病院から出た3日間(武漢を出る日から14日間まで)、1日2回以上検疫所や保健所などいろんな機構から電話がかかってくる、毎日の体温や体調の確認など、とても丁寧でした。

今まで、私はよく公務員の給料を減らすべきだとか、公務員の人数を減らすべきだなど言っていたが、ちゃんと仕事をする公務員には失礼だったと今は思います。中国で暮しているからこそ言えます、日本国民でいることがどれだけありがたいことかを実感しました。

そろそろ中国脱出してから1ヶ月間になります、脱出したおかげで現在でも健康でいることができるのです。今でも武漢から出れない健康な市民たちはとても不幸で、行政に頼ることが出来ずに力勝負で生き残ろうとしている(政府が無作為でも不満や意見を言ってはいけませんから)。この先武漢はどうなるか、実際何人死んでしまうのか、まだまだ先が見えない状況です。そして、この災害の後、中国はどう変わるのかもとても注目したいですね。

 

 

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noramin

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